大垣城
別名 巨鹿城 牛屋城 東大寺城 |
付近住所 岐阜県大垣市郭町2-52 | 現在- |
2007/9/15 | 碑・案内板・天守閣アリ | 日本城郭大系 |
大垣藩 石川康通→ 石川家成→ 石川忠総 日田藩へ 関宿藩より 久松 松平忠良→ 松平憲良 小諸藩へ 福知山藩より 岡部長盛→ 岡部宣勝 龍野藩へ 淀藩より 久松 松平定綱 桑名藩へ 尼崎藩より 戸田氏鉄→ 戸田氏信→ 戸田氏西→ 戸田氏定→ 戸田氏長→ 戸田氏英→ 戸田氏教→ 戸田氏庸→ 戸田氏正→ 戸田氏彬→ 戸田氏共→ 戸田氏秀 |
大垣城は古くは応仁年間(15世紀)には東大寺城と呼び当時の城主は大井荘のうち石包名(いわかねみょう)という地域の代官職をしていた大垣氏であったようです。そこでこの城を大垣城というようになりました。その後天文4年宮川安定が城郭を築き永禄2年大垣城主氏家卜全が城郭の建築工事をほどこしました。 天正13年(1585年)9月豊臣秀吉は一柳直末を大垣城主として天守閣の造営を命じました。この工事は天正16年7月になって完成し、その後改修を経て、以来この天守閣は四層四階建て総塗りごめ様式でたいへん優美な城として歴史のうえからも貴重なものでした。 戸田氏鉄像 歴代城主 織田領以前 大垣氏→宮川安定 *(1500年 竹腰尚綱が築城した説もある) 織田領後 織田氏→竹腰氏→氏家卜全→池田氏→三好氏→木下氏→加藤氏→一柳直末→羽柴秀勝→伊藤祐盛→伊藤盛宗 |